田野畑村の机浜番屋群

宿泊先の久慈を早朝に出発し、初めて三陸鉄道に乗った。
太平洋を見ながら揺られること50分、さらに田野畑駅から相乗りタクシーに乗りこみ、目的先である田野畑村の机浜番屋群に向かった。道中、運転手から震災当時の話を聞いた。生々しい話ばかりであったが、彼の表情はつとめて明るいように見えた。

番屋とは漁夫の寝泊りする漁場施設のことをいう。机浜の沿岸では主にザッパ舟と呼ばれる漁船でのウニ漁やアワビ漁が盛んのようだが、地名である机浜の由来がアイヌ語の「ツク」(小山、岬)だというから興味深い。そもそも番屋は北海道のニシン漁のために作られたそうだから、建築文化が北から太平洋沿いに伝播してきたということだ。机浜番屋群は昭和8年の三陸沖津波の後に作られた。

2011年3月11日、机浜番屋群は壊滅し、田野畑村でも多くの方が犠牲になった。70隻あったザッパ舟のうち、被災を免れたのはわずか1隻だけだったという。しかしながら、2015年に貴重な漁村の原風景を後世に残すために漁夫や支援者の努力の元、見事復元されたのだった。
それにしても津波前と全く同じ場所に建築したのだから、漁夫たちの海に対する執念、言い換えれば、海とともに生きていこうとする決意表明のような建築群だ。津波の脅威があろうとも海から逃げようとはしなかったのだ。

建築自体は簡素なものだが、それは全く取るに足らない問題であり、豪奢な建築でも虚しいものは虚しいし、単純素朴な建築でも尊いものは尊い。ここで働く青年と話をしたところ「皆さんのおかげでようやくここまで来れました。これからは我々がもっと頑張らなければいけません。」と力強い言葉を聞いた。

建築の本当の価値はお金で買えるものではなく、ましてや情報雑誌を賑わす流行デザインで作られたものでもない。それは建築に対する一途な気持ちの強さだとあらためて僕は思う。もしそれが正しければ、建築は何度でも力強く立ち上がってくることだろう。

机浜番屋群 水彩紙 透明水彩 ドローイングペン
机浜番屋群 水彩紙 透明水彩 ドローイングペン
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