カルロ・スカルパを訪ねて

tonba何年か前のこと、イタリアのビツェンツァ駅を発って、カステルフランコ・ヴェーネト行きの鈍行列車に乗った。その車中で突然大きな声がこだましたのだが、どうやら若者2人が不正乗車をして車掌にこっぴどく怒られているらしい。車掌がイタリア語で今すぐに出てけ!と言ったのだろう。驚くことに走行中にも関わらず、列車のドアを開けたのだった。イタリア国鉄はとりわけ不正乗車に厳しいらしいが、これは無茶苦茶である。しかし、これもイタリアの風景なんだろうか、と気をとりなおして先へ向かったが、あの2人の若者はどうなったのだろうか。

この旅の目的はカルロ・スカルパが設計したブリオン家の墓地を見学することだった。カステルフランコ・ヴェーネトからバスで向かうとの事前情報を元に、ターミナルへ行ったのだが、何台もバスが並んでいて皆目、目的のバスがわからない。これは困ったと右往左往していると、あるバスドライバーのおじさんが「ブリオン!ブリオン!!」と大きな声で手招きしている。どうやら日本人がこの場所にいるだけで、その目的がわかるらしい。おじさんの満面の笑みを見て、なぜだか「安心しな!最寄りのバス停で降ろしてやるから!」と言ったように思ってしまった。

しかし、バスドライバーのおじさんは乗客との会話に火がついてしまい、運転すら非常に怪しい。心配になった僕は「ブリオン?」と聞いてみた。すると話の矛先がこっちに向かい、何かをまくし立てている。どうやら乗り過ごしたらしいと、即座に理解したのだが、その瞬間、バスがUターンするではないか。なんとブリオン家の墓地の近くまで送ってくれたのだった(他にも乗客がいるのに!)。満足そうなドライバーのおじさんにグラッツェと言って、思い出深いバスを後にした。

カルロ・スカルパはイタリア北部のヴェネツィアを拠点とした建築家で、世界的な名声を持っていたのにも関わらず、非常にローカルな活動をしたことで知られる。終生ヴェネト方言で会話をし、地元を愛し続けた建築家だった。そしてその才能はル・コルビュジェをして「これは美しすぎて建築ではない」といわしめたほどだったが、その斬新な設計力ゆえに保守的なイタリア建築協会からは目の敵にされ、建築家免許の取得をたびたび妨害されるなど不遇なこともあった。形式上はモグリの建築家だったのだ。

ブリオン家の墓地に立つと、誰もが建築というよりランドスケープに近いと思うのではないか。いくつかの小さなエレメントが敷地内に点在し、水路や池などで連結されている。これは海に浮かぶヴェネツィアがモチーフなのだろうかと思った。ブリオン夫妻の墓石はゴンドラに見立てたものだろうか、アドリア海に船出をするかのようだ。高低差を作り出した空間や奥行き感のある演出もヴェネツィアを思わせる。前衛的に見えるスカルパのデザインに、ヴェネト地方が持つ歴史や風土の匂いが漂っているのを感じた。

ブリオン家墓地平面図 鉛筆 トレーシングペーパー
ブリオン家墓地平面図 鉛筆 トレーシングペーパー

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日本の文化にも魅了されたスカルパのデザインには、明かり障子のような扉のデザインや、古寺にあるような丸窓、静謐な水の扱いなどにその影響を見ることができる。祭壇上部のデザインは高台寺の傘亭を連想してしまう。彼は日本にも何度か来日した親日家だった。ある日のこと、スカルパは講演旅行で滞在していた仙台で、呉服屋の見学中に階段から転げ落ちて死んだ。ブリオン家の墓地の完成を見ることができなかったスカルパに建築家免許が送られたのは、虚しいことに死後5日経ってからのことだった。

カルロ・スカルパの墓はブリオン家の墓地の傍らにひっそりと建てられている。そういえば花を買うのを忘れていることに気がついた。今度来るときはどこかで買って行かなければいけないと思いつつ、誰もいない並木道を、帰りのバス停に向かって歩き出した。

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カルロ・スカルパの墓
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