カトリック幟町教会 世界平和記念聖堂

毎年ある写真展に参加していますが、人様に鑑賞していただく写真などほとんど無く、期日が近づいてから、慌てて何かを撮りに行く事を毎年続けています。今年はどうしようかと迷いましたが、広島市にある「世界平和記念聖堂」の写真を撮ろうと決めました。尾道と鞆の浦は行った事があるのですが、広島市は初めてだし、建築の見学にもなるから良かろうと思った次第です。

世界平和記念聖堂は、原爆によって吹き飛んだ古い教会堂の再建でした。着工が1950年、竣工が1954年だから、70年は草木が生えないと言われた広島市にあっては驚異的な建築です。人々の募金活動によって建築されたのですが、なかでも「世界平和記念聖堂後援会」は名誉総裁に高松宮親王を迎え、吉田茂、池田勇人などが名前を連ねました。広島復興のシンボルとして立ち上がった建築だったのです。

世界平和記念聖堂
世界平和記念聖堂

鉄筋コンクリートの躯体に貼られたモルタルレンガは被爆した広島の砂を用い、ひとつひとつ人の手によって貼られていきました。その数は数十万は下らない思われます。しかも工場生産では無く自家製のレンガだったというのですから、今では失われつつある手作りの建築といえるでしょう。設計した村野藤吾は、レンガ職人に荒々しい表面処理の仕事を求め、建築に強い陰影を表現しようとしたと言われています。レンガ間の接着に使われたモルタルも、目地から溢れ出した如く荒々しい。ある人が「まるで焼けただれた広島を示唆しているような表現だ。」と言いましたが、その解釈も充分成立するのではないかと思います。

荒々しいテクスチャ
荒々しいテクスチャ

村野藤吾が竣工時に「これから10年後になったら何とか見られるようになりましょう」と述べたことは、時間に耐えうる建築を目指していた事を意味します。時間とともに美しく古びていく建築は手仕事のなせる技だし、恒久平和を祈る聖堂であるから、時間というものが村野にとっての命題だったのでしょう。戦後の建築物で国の重要文化財に指定されたのは、この世界平和記念聖堂と丹下健三による広島平和記念資料館本館(原爆資料館)しかありません。

水彩紙 透明水彩 耐水ペン
水彩紙 透明水彩 耐水ペン

ところで、非核非戦を訴える建築物で重要なものが、もうひとつありました。白井晟一による「原爆堂計画」ですが、残念ながら敷地選定などの問題で頓挫し実現していません。ところが、JIA広島が中心になって「原爆堂計画実現基金」なるものが発足するのだといいます。いつの日になるかわかりませんが是非とも実現して欲しいと思います。広島はもうひとつ重要な建築を手にするのかもしれないのです。

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