長谷川堯先生の講義

武蔵美の学生たちと実測に参加した数日後、建築史家・建築評論家で武蔵野美術大学名誉教授の長谷川堯先生の講義を受講しました。そんなこともあり、昔のことを少し思い出しますが、白井晟一のエッセー「めし」と「豆腐」が配布されたのは長谷川先生の近代建築論の授業だったかすっかり忘れてしまいました。

実測野帳
実測野帳

先生は「神殿か獄舎か」(1972年)という当時の建築界を震撼させる論文で著名になり、建築史家の藤森照信さんから兄貴分のように慕われている方です。藤森さんによれば、かつての建築業界には長谷川堯ブームがあり、それは一般社会にまで広がっていたそうです。我々が学生の頃も武蔵美の名物先生的な存在で大講義室で授業を行っていました。「神殿か獄舎か」は今読んでも鋭い社会批判を含むものであり、最近になって鹿島出版会から復刻されました。

長谷川堯先生
長谷川堯先生

毎年夏に神楽坂建築塾でお話をされている長谷川先生ですが、僕もここ数年出席することにしています。ある日のこと、安藤忠雄の話になり「昔は仲が良かったんだけど・・・」と前置きをした上で「安藤は人をコンクリートの箱に閉じ込め、自らはそこから逃げ出したんだ。この問題は後々まで引きずるだろう。」とおっしゃった。齢80を前にしての迫力でありました。

そういえば御子息が主演の「シン・ゴジラ」を観ました。先生も「面白かったよね」と話されていましたが、完璧主義者と言われる庵野監督はもしや長谷川先生の著作も読まれたのではないかと思わせるような場面もあります。蘇った辰野金吾の神殿的建築物が破壊され、モダニズム直系の巨大建築物が撫で斬りにされる。主人公に対して内閣官房長官が「この国はスクラップ&ビルドでのし上がってきたんだ。」と投げかけるシーンなど熱い展開が続きました。

ゴジラ=原発と見立てたものであるならば、国家的で人間不在の神殿的存在であるし、「神殿か獄舎か」の中でコア=核に対する批判も見られます。シン・ゴジラの「シン」とは「神」の意味も含まれているそうですが、これらの符号はただの偶然でしょうか。

神殿か獄舎か
神殿か獄舎か
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