無名の左官 中島武一

建築家で帝国美術学校(現武蔵野美術大学、多摩美術大学)の創設者の一人である今井兼次のデビュー作が早稲田大学に残されています。当初は図書館として造られましたが、現在は會津八一記念博物館として再生され、一般公開されています。薄暗いエントランスホールに並ぶ6本ある漆喰塗りの円錐柱は間接照明によってライトアップされ、純白の立ち姿が非常に美しいものです。

外観(内部は撮影禁止)

建築に纏わる物語は数多く存在すると思いますが、この工事に関わった左官の棟梁、中島武一と6本の円錐柱の逸話は中でも心に残るもので、拙文ながらここに紹介させていただきたいと思います。

大正14年のある夏の終わりのこと、無名の左官棟梁、中島武一と若い衆2人は早稲田大学の図書館を完成させるため、心を込めて漆喰を塗っていました。初めての大仕事に心血を注ぎ込んでいたのです。特に玄関ホールにある6本の円錐柱は上に行くに従って太くなり、柱頭には複雑なデザインが施される職人にとっては腕が鳴る仕事でした。
しかし、工事の遅れを恐れた図書館長は設計者の今井兼次を呼び出し、別の左官職人を増やすように指示を出します。これを今井から聞かされた中島は、コテを震わせ涙を流しながらこう言いました。

「それだけは勘弁してください。一世一代の大仕事なんです。」

こう言われた今井は自らの無粋を恥じ、全てを中島に託しました。今井の気持ちを汲んだ中島も昼夜を忘れ、ロウソクの灯の下で漆喰を塗り続けました。
いよいよ最後の6本目が塗られようとする日の朝、晴れ姿の女性と3人の幼子が現場に現れます。それは中島の妻子でした。中島は妻子をゴザに座らせ、彼女たちは夫であり父が一世一代の仕事に挑む姿を終日、目に焼き付けました。ついに6本目の柱を完成させると、満たされた心安らかな表情で家族は共に家路につきました。

「この光景はいじらしいほど、私には有難いものでありました。」と今井兼次は回想しています。
もし、この建築を見学する機会がありましたら、中島武一の職人気質とそれを晴れ姿で見守っていた妻子の姿を思い描きながら見て欲しいと思います。

みなさんは、家を造るときにどのような建築物語がありましたでしょうか?また、これから家を造られる方には是非とも素晴らしい建築物語に出会って欲しいと思います。
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